不登校から復帰し、中学から何ら普通に学校に行けるようになりました。
周囲から見れば、「あの子、学校にいけるようになったのね~よかったね」と、思われていたかもしれませんが、私の中では違いました。不登校だった劣等感を背負って生活をしていました。
学校復帰後に苦しんだこと
「苦しんだ」
こう書くとおもーい感じがしますけど、不登校だった子が劣等感を持つのは当たり前のこと。だって、学校行ってなかったんだもん。
ではでは、不登校復帰後にどんなことが苦しみとなっていたのか、整理していきます。
体育の授業
私は、もともと運動が得意なタイプではありませんでした。さらに、不登校期間があったため体育の経験ができていない。そんな私が、学校復帰後にどうなるかというと、周りと比べて明らかに劣っている自分。。。
特に高校入学後が一番つらく、周りの友達のレベルにまったくついていけないのです。バレーボールとかバスケとか、高校になるまでやったことがなかったので、チームを組んで練習する際にも足を引っ張ってしまいます。
(本当にチームのみんなに申し訳なかった。涙)
特に覚えている種目は「器械体操」
側転したり、バク転したりするあれです。体育の単位を取るためには、5種の連続技をするという条件でした。しかも、体育は学年合同授業だったので、150名の人に見られながら&ビデオ記録がはいるとのこと!後転すらできない私には、プレッシャーが大きい、、、学校の授業だけでは間に合わず、家でも布団をひいて練習しました。
(小学生ではありません。高校生が、家で体育の練習!笑)
本当にできなくて、教室で体育の教科書を熟読するという徹底ぶり
(体育ができる男子に「体育の教科書を読んでる人を初めてみたよ」と言われたのも思い出、、、)
結果、なんとか乗り切ったわけではありますが、本当につらかった。でもつらい体育も2年間だけで3年生になると種目が選択になったので、卓球、バドミントン、などのやりやすいものを選択して、楽しむことができるようになりました。体育苦手な子が集まっていたこともあり、楽しかった!
ちなみに、大人になった私は、水泳に通ったり、卓球したり、ジムに行ったり、身体を動かすことんいてい行こうがないタイプに近づけました。「体育」が嫌いなだけ!
友達との懐かしい話で盛り上がること
不登校だった期間があると、そのとき流行っていたことなどに気づかないんですよね。いろんなことを知らないまま、時間が過ぎていたんですよね。
学校復帰をして、友達とやり取りしていくうちに「私って、知らないことが多いな」と気づきました。大人になった今となればそんなことどうでもいいし、知りたければ教えてもらえばいいし、後から調べたって良いと思えますが、
その当時の私には自分はみんなと違うと感じ、劣等感につながっていました。
覚えていないような小さなことなんですけどね、、。例えば、給食のメニューのこととか、流行っていた遊びのこととか、みんなが「あーなつかしーーー」って盛り上がっているなか、私はニコニコしいながら「ん?なんだそりゃ」と思っていたんですよね。
学校に復帰できて、周囲からは普通に学校に来ている人だったと思いますが、私の頭の中はそんなことはなくて、分からないことがいっぱいでした。(そりゃそーなんだけどね。)
人前で発表すること
これも、体育と一緒で「経験がない系」ですね。話し合いとかプレゼンをするということを苦手としていました。
勉強の内容で困ったことはなかったけど、テスト以外の形で評価されるようなことはことごとく苦手でした。英語でのスピーチだったり、文化祭の演目決めの話し合いで意見を言うことだったり、学校で人前で話すことってたくさんありますよね。
経験しておけばよかった
大学生になってから、私はこの「人前にでる」ということに関しては、開花しました!中学高校大学と、少しずつ経験を積んで、今では人前に出ると快感を感じるまでになりました。笑
小学生の時からやっていれば、もっと早く気持ちがらくにプレゼンできるような人になっていたのではないか?と思ったりします。
また学校に行けなくなるかもと不安に襲われること
私は、中学に入学し、そこから不登校になることはなく、大学までほぼ皆勤賞で通学できるようになりました。私はもともと明るくひょうきんで面白いことが好きなタイプだったので、中学以降の私は、不登校だった影を見せずに生活できていました。
でも、私は「また突然、学校に行けなくなるかも」と不安な気持ちと戦っていました。夜、布団に入ったときには、「明日からも学校にいけますように」と、唱えて寝るような日もありました。
学校に行けない衝動(?)不安(?)発作(?)は、予期なく来るもの。自分ではコントロールできないものでした、不登校になる直前には、楽しく学校に通えていると自分で思っていても、ある日突然、学校に行けないという経験をしていました。
なので、中学以降も「また、学校に行けなくなったら」と、不安が付きまとうことになりました。
「私は不登校だった」という劣等感と戦うこと
これは、話の総括ではあるのですが、人って、人と違うことに違和感や恐怖を感じることがありますよね。
学校という社会に適応できなかった私は、「劣っている」「私って変なんだ」「おかしい人なんだ」と自分のことを評価していました。どんなに努力しても、不登校だった事実は消せない。
不登校だった私を知っている人は、「不登校だった私」として見れいるのだろう。誰からも評価されない存在なんだ。と劣等感だらけでした。
実際は、学校というのはあくまでも社会の一部で一部であって、学校がすべてではない。不登校であったことは自分だけの経験だし大切にすべきと、思ってもよかったのです。
でもそうおもえるようになったのは、社会人になってから。今、不登校の渦中にいると「不登校も大切な経験」って、思うのは難しいですよね。本当にそう思う。
でも、様々な立場の人と関わるような仕事について、「一人ひとりの経験はその人だけのものであって、大切なこと」と心から実感して、今の私があります。
これはいろんなところで聞く言葉ですが、「自分の経験を大切にしよう」本当にそうだなと思います。私だから、理解できるひとの苦しみや葛藤があると実感しています。
苦しみの先に、あったもの
今は、無事に大人になれた私ですが、不登校復帰後も苦しみを抱えながら生きていきました。苦しかったことは事実だけど、今となれば苦しみも含めて、自分にしかできなかった大切な経験だと思えるようになりました。そういう苦しみがあったから、私は努力できるタイプの人間になれたし、様々な立場の人の苦しみを理解しようとするマインドを持つことができたんですよね。中には不登校に対して、辛辣な意見を持っているひともいるけど、そういう人が社会にいることも理解しつつ、私は苦しい人の味方でありたいと思っています。今、苦しくても、いつかはその気持ちが自分の背中を押してくれることになるかもしれませんよ。