
私は、小学生の時に3年間の不登校経験があります。その後中学から、学校復帰しました。大学まで進学し、無事に自立の道に進むことができました。
当時、言葉にできなかったことや不登校の経験から学んだことを発信中!「様々なタイプの方に寄り添い、すべて子どもたちとその保護者の力になりたいです^^」お気軽にコメントいただけたら嬉しいです。
それでは本日のテーマ、スタートです!
「学校に行くことが正解」…だけじゃない
毎日学校に通えていることは、素晴らしいことです。私もそうでありたかったなと思うときがあります。学校での 授業や友人とのやりとりなどを通じて、多くの学びや経験を得ることができます。そういった意味では、学校に行けていることは“正解”のように感じるかもしれません。
しかし、学校に行けないことが“不正解”かと問われれば、私はそうは考えていません。
子どもたちが学ぶ道や方法は、一つだけではありません。
今の自分にとってのベストが、他の誰かのベストと違っていても構わないのです。 「正解」は、あとから自分自身が決めていくものだと、私は思っています。
※前提として、 「学校に行けるなら行ったほうが良い」——これは、理解しています。 学校には多くの学びがあり、さまざまな経験ができる場所です。だからこそ、行けていること自体が素晴らしいと感じています。
(私は学校に行けなかったので、いける人ってすごいなぁと純粋に思います!)
この記事では「どうしても学校に行けない」という子どもたちに向けて、少しでも心が軽くなるような言葉を届けたいと思いながら書いています。
背景や心のかたちは、一人ひとり違う

学校にはたくさんの人がいて、それぞれに違った背景、違った性格、違った心のかたちがあります。 得意なこと、苦手なこと、落ち着ける空間や時間——どれも同じではありません。 そんな中で、「みんなが行っているから」「これが普通だから」と無理をしようとする必要はないのです。
「行く/行かない」という選択だけではなく、 その経験にどんな意味を見出すか——それこそが、最も重要だと私は考えています。
大多数と同じ道を歩くことだけが“正しさ”ではありません。 それぞれの心に寄り添った道を選べるように、まずは「違っていい」と受け止めることから始めませんか。
「行かなかった」経験が、私の道しるべになりました

私は不登校だったからこそ、「臨床心理学を学びたい」と思えました。 そして、子どもたちを支える仕事にたどり着くことができています。 大学で学んだ知識や、実際の現場で得た経験は、私自身の生活や考え方に深く影響を与えてくれました。
学校に行けなかったあの頃—— それは決して“止まっていた時間”ではなく、“静かに学んでいた時間”だったのだと思います。
学校に行けなかった時間の中で、私は大切なことに気づきました。 「普通という正解はないこと」 「少数派の人もたくさんいること」 「そもそも、一人ひとりがまったく違う存在であること」——
繰り返しになりますが、私は学校に行けるなら行ったほうがいいと考えています。
でも、どうしても行けない時期があったとき、そこにはきっと、その人なりの貴重な学びや経験があるのです。
「行かない時間」が、未来への道しるべになることもある—— 私はそう信じています。
自分の経験に、どんな名前をつけるかは自分次第

自分の選択を「正解」とするか、「不正解」とするかは、自分自身が決めることです。 あなたの毎日は、あなたにしか経験できない、かけがえのないものです。 だからこそ、その時間や気持ちを、どうか大切にしていただきたいと思います。
もし学校に行けないのであれば、無理に行く必要はないんじゃないかなと思います。(※もちろん、ひとりひとりの状況によります)「みんなが行っている場所なんだから学校に行かなくちゃ」と考えることよりも、 今のあなたにとって必要なことや、心に寄り添った選択をしてほしいのです。
あなたが今日選んだその一歩が、「正解だった」と思える日が、きっとやってきます。
私は、そんな日が訪れることを心から願っています。

本日もご覧いただきありがとうございました。
今日は小学生の時からの友達とランチです!私は不登校だったけど、そのときの友達とつながれていることに感謝!
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