「学校に行っていない私はダメ?」不登校という時間から、私が受け取ったもの

学校に行けない期間は苦しい期間でした。

人と違う生活をする自分。「学校にいっていない私はダメ?」だったのでしょうか。

学校に行っていない私は、ダメなんかじゃない

 「学校に行っていない私は、ダメ?」 そんな問いが、浮かんだことがあります。当時は、ずっと続く暗いトンネルにいるような気がして、この先どうなるんだろうと不安に思っていました。

 でも、大人になった今だから分かるし、不登校当事者だから言えます。「学校に行っていない私はだめではない!」

(タイムマシーンがあったら、当時の私に言いにいきたい!)

学校に行っていないからこそ得たことがある

 学校に行っていないからこそ、私には得られたことがあります。 学校に行けなかったあの時間が、私に深い考えと、人生の目的をくれました。

  周りの人とは違う生活を送っていたかもしれません。 けれどその時間の中で、私は様々な気づきを得ていました。 不登校だった時間こそが、今の私の価値観やマインドを育ててくれたと、今ならそう思えます。

様々な人がいることを知った

 私は、小学校に行けない期間には、地域の不登校生徒が集まる学校外の教室に週2回ほど参加していました。そこには、小学生から中学生の学校に行けていない生徒が40名ほど来ていました。

 初めて行ったときに「学校に行けていない人って、こんなにいるんだ」と、驚いたことを覚えています。活動は、図工のようなもの、運動のようなものなどがありました。でも、強制ではなく、本を読んだり、おしゃべりしたり、それぞれの時間を過ごしている人がいました。通ううちに、帰りに一緒に本屋さんに行く友達もできました。

 そんな中で、ある出来事が印象に残っています。誰かがペンの入った箱を投げ(多分その子はなにかで怒っていた)、それが私にかすって落ちました。なのに、一緒にいた友達が「先生!私に箱が当たったよ!」と声をあげたのです。(実際には当たってないのに嘘をついたんですね。)

 私は「…え?」と驚きました。あたったのは私で、その子は当たっていない。その時に、私は箱を投げちゃった人に対して、「あらあら、箱を投げるなんて、だいじょうぶかな」「わたしはものはなげないけどな」と思い、嘘をついた友達には「嘘をついてまで、先生と話したいと思う人もいるんだ!」「でも私はそうしないようにしよう」などと思っていました。

 その他にも、周りの友達の行動や反応を見て、「自分とは違う感覚の人がいる」「人の感覚ってそれぞれなんだ」と考えるようになりました。今までは、家で自分の小学校の世界しか知らず、自分だけが変わっているという認識でした。でもこの教室での体験を通して、この世界には本当にいろいろなひとがいると知ったのです。

人にはそれぞれ苦しみや苦手なことがある

 次は、保健室登校をしていた時のこと。保健室の隣の部屋を使って、勉強したり読書をしたり、給食を食べる生活をしていました。そんな中、クラスに入れない仲間が同じ部屋で過ごすことになりました。イラストを描くのが得意で、お話はゆっくりめ。年上の女の子で、私とは違うタイプの人でした。お互いクラスのことは話さないけど、いろんな話をするようになり放課後におうちに遊びに行く仲になりました。

 その子との関わりの中でも感じることがありました。同じ学校で、クラスに入れないという状況は一緒だけど、考えていることは違っていて、苦しいと感じることも違う。その子の心にある苦しみを聞いたとき「みんないろいろ抱えているんだな」と思ったものです。

 また、私は授業に出ていない分、いろいろな先生と話す時間がありました。その中で、体調が悪く学校に来れなくなってしまった先生がいました。その先生が完全に来れなくなる前に私はその先生の胸の内を聞いていました。「朝起きると、カラスがなっていて、あぁ今日も仕事をしなくちゃいけないのか、と苦しくなる」とその先生は私に言いました。(実際は明るいトーンで、私の気持ちに共感するという意味合いだったと思います)きっと、学校に行けない私の姿が先生自身の苦しみと重なったのでしょう。

 その話を聞いたときは、「私と一緒だ」と思っただけでした。けれど、その先生が学校に来ていないということに気づいたとき「大人でもどうしようもできないこともあるんだ」と驚きました。子どもだった私には衝撃的なできことでした。

人生の目的を得た(心理学を勉強したい!)

 私は、初めて学校に行けなくなった小2から卒業まで、ほかの人とは違う経験を積みました。その中で、私が得た一番大きかったことは心理学を勉強してみたい」と、卒業時点で思えたことです。

 不登校期間の中、私はたくさんの大人に支えられてきました。校長先生、保健室の先生、用務員さん、非常勤の理科の先生、いつも立ち話をしてくれたあの先生、などなど(忙しい先生方に今でも大感謝です。心がぎゅっとなります)

 気が合う先生もそうでない先生もいたけど、私は自然と自分が大人になったときに、苦しみをもつ子どもたちを支えたいと思うようになりました。この考えは、苦しみを持つ子どもが私以外にもいることを知らなければその考えにはたどり着かなかったです。

 中学生の時点で、心理学系の大学に進学したいと考えるようになった私は、実際にその進路に進み、子どもたちを支える仕事に就きました。ありきたりになってしまいますが、私の人生ってつながっていたんだなと日々実感しています。

 ここまで来ることができて本当に良かった。

私はダメなんかじゃない。その時間こそが今の私を作った

 私は、ダメなんかじゃない。 学校に行けなかった時間、それが今の私をつくってくれました。あの頃は毎日不安で、どうなるんだろうって思ってたけど、今ならわかります。 あの時間は、ちゃんと意味があった

 今、同じように悩んでる人がいるとしたら、 今のあなたも、きっと前に進んでいますよ。 今はそう感じれなくてもOK。うまく進めない日があっても大丈夫で、 遠回りに見える道も、いつか自分らしい力になるかもしれませんよ。 私がそうだったように、あなたにも、未来があります。

あぱち
あぱち

本日もご覧いただきありがとうございます。

ゴッホの「ひまわり」を見てきました。この絵の前にゴッホが座っていたのか、と想像しました^^

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