「不登校はずるい」——そんな言葉を聞いたことはありませんか。
直接言われた人も、ネットやSNSで目にして胸が痛んだ人もいるでしょう。
しかし、不登校は決してずるいことではありません。
それは怠けやごまかしではなく、体や心が限界を迎えた結果として「行けない」状態だからです。
本記事では、「不登校 ずるい」という言葉の意味や背景を整理し、
不登校を経験した人の立場と、そう感じる人の立場の両方から考えていきます。
不登校はずるくない

私は、不登校はずるいとは思いません。ずるいとかそういうレベルの話ではないと考えています。
私は直接「不登校ってずるい」と言われたことはありませんが、
相談サイトでその言葉を見かけたとき、不登校経験がある私は、胸が痛みました><
もしあなたも同じように傷ついたなら、その気持ちは自然なことです。
「ずるい」という言葉を見つめ直す
そもそも「ずるい」とはどういう意味なのか、AIに聞いてみました!
まずは言葉の意味を知ることで、感情的にならずに整理していきましょう。
本来の意味
「ずるい」という言葉の本来の意味は、「自分の利益のために、ごまかしてうまく立ち回ること」です。
現代的な使われ方
一方で、最近では「羨ましい」という軽いニュアンスでも使われることがあります。
「行かない」のではなく「行けない」
不登校はごまかしではない理由
不登校は、ごまかしではなく、体や心が限界を迎えた結果として起こるケースもあります。
怠けていると言われることもあるかもしれませんが、私の場合は学校に行けないことは必然でした。
実際に起きていた身体や心の症状
私は不登校の時こんな状況でした。
- 身体が思うように動かなくなる
- 吐き気がして家から出られない日が続く
- 教室の前で動悸がして足が前に進まない
- ランドセルを背負っても玄関で涙があふれる
これは「行かない」のではなく、「行けない」状態だったのです。
※このときの詳しい体験は、ランドセルを背負って玄関で泣いた朝のこと――“行きたいのに行けなかった私”の話に書いています。

「ずるい」と感じる人の気持ちの奥にあるもの
不公平感や羨ましさの背景
「ずるい」と感じる人の中には、自分も本当は休みたいという気持ちを抱えている場合があります。
不公平感や羨ましさが混じっていることもあるでしょう。
これは理解できそうです。
価値観や環境の違い
ただ、「学校に行きたくない」という言葉ひとつをとっても、その背景や重さは人によってまったく違います。
それって、分かり合えることもあるかもしれませんが、完全に分かり合うことは難しいのではないでしょうか。
お互いを完全に理解することはできないけれど


「ずるい」と言われた人も、言った人も、お互いの気持ちを完璧に理解することはできません。
同じ言葉を使っていても、その意味や背景は人によって異なるからです。
でも、それで良いのだと思います。
人の大変さやつらさは比べられるものではありません。
自分がつらいと感じたら、それはそれ以上でもそれ以下でもないのです。
「ずるい」と言われても、「そりゃあなたにはわからないよね」と受け流していい。
逆に「ずるい」と思う側は、「自分には分からないつらさを抱えている人がいるんだな」と思えたら、お互いが少し楽になれるのではないでしょうか。
※私を苦しめた言葉はこんなことだったことも。その言葉が、私を苦しめた――“不登校の私”に向けられた応援の言葉。



まとめ:不登校はずるくない
不登校は、決してずるいことではありません。たとえ「ずるい」と言われても、その言葉を真に受ける必要はありません。
あなたの選択や今の状況は、あなたにしかわからない大切なものです。自分を責めず、少しずつ「今の自分」を受け入れていきましょう。


「大変さ」「つらさ」を数値化出来たらいいのに!頭の上に表示されていたらいいのに~
満員電車で席譲ってもらえたりするの笑
↓「にほんブログ村」ぽちっと押して応援お願いします!



