幼稚園の時から行き渋りがあった
幼稚園の時から、少しづつ予兆があった。
それでも私は、小学生になることを楽しみにしていました。
今でも覚えているのは、「どうしても行けない」と、思った“怖い”という気持ちです。
楽しい幼稚園生活
家のすぐそばにあった幼稚園に通っていました。
玄関を出て歩く距離はほんの少しだけでしたが、その道をワクワクして歩いていたことを覚えています。
私にとっては、初めての社会への参加でした。
先生の声や友達の笑い声、いろいろな音がします。
門をくぐると、そこには毎日変わらない“居場所”がありました。
友達と遊ぶことも好きでしたし、「通う」ことに抵抗を感じることはありませんでした。
幼稚園の制服を着ることも、登園の準備も、日常の一部として自然に受け入れていたと思います。
幼稚園は安心できる場所
今思い返してみると、あの頃は「家」と「園」の境界線は、ぼんやりしていた気がします。
社会と家族、外と中——そういったことはまだ意識していなくて、ただここが“心地よい”という感覚だけで幼稚園に通うことができていました。
きっと私は、この幼稚園を「身近で安心できる場所」として、素直に受け入れていたのだと思います。毎日通えることが当然で、初めての“社会”の空気の中に、自分なりに馴染んでいたのだと思います。
おしゃぶりで緊張をほぐす
家に帰ると、私は決まっておしゃぶりをくわえていました。 「あ~これが楽しみだったのよね!」私は決まってそう言っていたそうです。
外ではもう使っていなかったけれど、家に戻ると“安心したくなる”気持ちが湧いてきたのです。 それは外の世界で感じたちいさな緊張を、ゆるめるための方法だったのです。
ちょっとしんどい気持ち
幼稚園では楽しく過ごしていたはずでした。友達と遊び、先生とお話しして、笑うこともたくさんありました。 でもその一方で、“何かちょっとしんどい”という感覚も、私の中にはあったように思います。
みんなと同じように動くこと、人に合わせること、声が重なる教室の空気。 それらをすこしだけ、疲れると感じていたのかもしれません。 だけどその時の私は、それが「不安」や「違和感」だとは気づくこともできずに毎日を繰り返していたのです。
転園先への行き渋り
その後、諸事情があり引っ越すことになりました。
初めての場所や人が苦手な私は、家が変わってしまうというだけで、不安な気持ちになり、体調不良になりました。
その後、転園先の幼稚園へ行き渋りをするようになりました。詳細は覚えていないのですが、とにかく「行きたくない」という感覚は覚えています。
その理由は、正直なところ不明。
先生の表情が怖かったこと、
男の子たちの行動に戸惑ったこと、
教室の空気がぴんと張っていたような印象があること。
いろんな記憶が断片的に残っているけれど、当時の私はそれらをうまく言葉にすることはできなかったのです
どうしても行けない。
行けたり行けない日々を過ごしていました。
遠足の日には、一人では参加できず、母が付き添ってくれました。 みんなが楽しそうにしている様子を横目に、私は母の手をしっかり握って、その場にとけ込めずに立っていたことを、ぼんやりと覚えています。
「行かない」ではなく、「行けない」と感じていたあの頃の私。
あの感覚には、自分でもどうすることもできないものでした。
それでも小学生になることは楽しみ
通えなくなった日々が続くなかでも、私は小学生になることを楽しみにしていました。
文字を書く練習をしたり、ランドセルをお試しで背負ったり、
“小学生への準備”は、ワクワクした気持ちにさせてくれました。卒園式の楽しい記憶も残っています。
幼稚園と小学校は別物
幼稚園と小学校は、私の中では別ものとして存在していました。
「幼稚園はうまく通えなかったけれど、小学校は違うだろう!」
そんなふうに希望を持っていた私は、幼稚園と小学校を連続したものとは思っていませんでした。
かっこいい小学生になる!
小学生になったら、勉強を頑張ろう、字を上手に書こう、いっぱい手を上げよう
そう思いながら、小学生になる準備をしていた幼稚園生の頃の私。
幼稚園で行き渋りがあった私ですが、
その先にある小学校6年間が、あんな時間になるとはだれも想像していませんでした。
あのワクワクした自分を思い出すと、そのまま楽しい6年間を送ってほしかったと、今も思ってしまい切ない気持ちになるのです。
次回は、「止まってしまった朝」
私が初めて不登校になった日のことを書きます。

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