学校に行けていなかった理由は複数ある
私が学校に行けなくなった理由は、ひとつではありません。
不登校になった当時は、自分でもその理由をうまく説明することができず、頭の中は混乱していました。
何がつらいのか、何が苦しいのか、言葉にできないまま、時間だけが過ぎていくのでした。
その後、少しずつ自分の気持ちと向き合いながら、学校に行けなかった背景や要因の整理を進めました。
それは何年もかかったことですから、不登校の渦中にいるときには難しかったです。
今考えてみると、不登校にはいくつかの理由が重なっていたのだと考えています。
ただ、それもあくまで今の自分の仮説にすぎません。
当時の自分の気持ちは複雑で、今振り返っても完全に理解できているとは言い切れないのです。
学校は刺激の多い場所

学校という場所は、複合的な空間だと思います。
ショッピングができて、フードコートもあって、ATMもあるイオンのように、
学校は勉強ができて、友達とのやり取りもある。給食も食べる。
学校という、ひとつの場所に、さまざまな機能や役割が詰め込まれているからこそ、
刺激の多い環境でもありますよね。
溜まっていくストレス
その刺激は、知らず知らずのうちにストレスとなって蓄積していきました。
けれど当時の私は、そのストレスに気づくことができませんでした。
「学校がつらい」とはっきり感じる前に、心の中で何かが少しずつ崩れていっていたような感覚です。
そして、ストレスを感じていることに気づかないまま、何の対策も取らずに過ごしてしまいました。
そして、ある日突然学校に行けない日々がスタートしました。
小さな違和感の積み重ね

学校生活で感じていた、小さいけれど確かなストレス。
学校に通っていた頃、私が感じていたストレスは、ひとつひとつは小さなことかもしれません。
けれど、それらが積み重なっていくことで、負担となっていきました。
ここでは、当時の私がどんなことに違和感を感じ、ストレスを感じていたのか整理してみます。
①教室のクラスメイトが授業を聞かずに、騒いでいること

私は先生の言葉を信じて、先生の話をしっかり聞きたいタイプの生徒でした。
授業はすべて聞きたいし、勉強の時間を大切にしたいと思っていました。
しかし教室には、おしゃべりをしたり、立ち歩いたり、眠ってしまう子がいますよね。
当時の私は授業を聞かないクラスメイトの気持ちが理解できず、
「なぜ、先生の話を聞かないの!?」
と、ストレスを感じていました。
今では、それぞれの子どもにも理由があったり、事情があったりすることが分かりますが、
あの頃の私は、未熟で、人の行動に振り回されてしまっていたのでしょう。
②先生の指示にしたがわないこと

「〇時までに戻ってきましょう」
「忘れ物のないように」
「静かに待ちましょう」
こうした先生の指示を、私は100%守りたいと思っていました。
だからこそ、守らない人がいることに毎回困惑していました。
「なぜ守らないの?」
「怒られても平気そうなのはなぜ?」と、
心の中で考えていました。
また、 怒られている場面を見ることも苦手でした。
まるで自分も一緒に怒られているような気持ちになってしまい、人一番落ち込んでしまうことがありました。
③集団で怒られること

クラスの一部の人が騒いでいたことで、クラス全員が怒られる場面ってありますよね。
「私は関係ないのに」と思っても、そう割り切ることができず、
「怒られてしまった」と、モヤモヤした気持ちを抱えていました。
④教室が汚いこと
その時の教室全体が、散らかっていました。
散らかっている教室を見ているとイライラに近い気持ちを感じていました。
どこに何があるのか分からない状況が苦手でした。
先生の机の上にプリントが積み重なっているのを見ると、なんとなく嫌な気持ちになり、
「どうしてきちんと並べないのだろう」と思っていました。
汚れた雑巾が並んでいるのを見るのも、嫌でしたね。
⑤何度もやり直しをさせられること
「風」という字の2画目がうまく書けず、何度も書き直しを指示されたことを覚えています。
正しい形を提示されることもなく、何が違っているのかも教えてもらえず、
ただただ繰り返し×をもらうだけでした。
今思えば、授業時間が余っていて、緩やかに過ごしてよい時間だったのかもしれません。
けれど、分からないまま何度も書いては×をもらう経験は、苦痛でした。
(この経験は、のちに就職先を選ぶ際に役立ちました)
⑥約束が守られないこと

「明日プリントを返すからね」
と言われたのに、そうならないことが続いていました。
最後まで返ってこなかったものもあります。
私は、プリントやテストが返ってくるのを楽しみにしていました。
プリントが返ってこないと、がっかりした気持ちになってしまいました。
そのほかにも、時間割が当日になって変更になることがあったりすることもあって、イライラしていました。
私が急な変更が苦手なだけなんですけどね。
違和感が、大きな負担へ
こうした経験は、今振り返ると「小さな違和感」の積み重ねだったのかもしれません。 けれど、その違和感に気づかず、対処することもできないまま過ごしていたことが、私にとっては大きな負担となっていたのです。
学校に適応できなかった理由

つまり、私は、
学校という場所にうまく適応できていませんでした。
けれど当時の私は、適応できていないことに気づけませんでした。
自分が学校でストレスを感じていることすら、分かっていません。
それは親や先生も、分かっていなかったのではないかと思います。
心の中に違和感があっても、それをうまく言葉にすることができず、
「何がつらいのか」「どうして苦しいのか」
自分でも分かりませんでした。
そんな中で、私のストレスは「不登校」というかたちで表に現れました。
学校に行けなくなったことで、ようやく自分の中に何かが起きていることを認識し始めたのだと思います
今振り返ると、不登校になったばかりの私は「自分の状態を説明できないこと」が、
いちばんの苦しさだったのかもしれません。
理由がはっきりしないままでは、周囲も適切な対応ができません。
私自身も、どう助けを求めたらいいのか分からず、ただ時間だけが過ぎていきました。
その後不登校を繰り返すことになります。


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