学校に行けなかったあの頃のことを思い出すと、今でも胸がざわつきます。
親に心配をかけていることが申し訳なくて、何も言われていないのに「ごめんなさい」と繰り返していました。
“普通”になれない自分が嫌で、不登校じゃない人生を選べたらよかったと何度も思うのです。
それでも、どうすることもできなかったあの頃の自分を、少しずつ「仕方ない」と受け入れるようになりました。
今も残る“ごめんね”の気持ちと向き合いながら、その日々を振り返ってみようと思います。
いまだにざわつく気持ち

自分を責める毎日
学校に行けない自分。
親に心配をかけていることが申し訳なくて、
ずっと、自分を責めていました。
何も言われていないのに、
私は「迷惑をかけている」と頭の中で繰り返し、自分を責めていました。
それでも学校にいけない自分。
親の顔を見るのがつらい日もありました。
不登校じゃない人生を送りたかった
周りの子が当たり前のように学校に通っているのを見て
「自分は何かがおかしい」と、思っていました。
“普通”になれない自分が嫌で、どうしてこんなふうになってしまったんだろうと悩むのです。
親の期待に応えられないことがもどかしくて、
「ちゃんと学校に通えていたら」と何度も考えました。
でも、どうすることもできませんでした。
それでも、仕方ない

あの頃は、毎日「どうして行けないんだろう」と悩んでばかりで、気づけばそのことで頭がいっぱいになっていました。
学校の悩みに時間を使いたくなかった
本当はもっと別のことに時間を使いたかった、だんだんと思うようになりました。
好きなこととか、やりたいこととか。
でも、学校に行けない自分をどうにかしなきゃって、そればかり考えてしまっていたんです。
「学校に行けない=おかしい人」と受け止め、ずっと自分を直そうとしていた気がします。
現状を受け止める
そんな中で、「仕方ないかもね」と思えるときが少しずつ増えてきました。
学校に行けなかったことも、親に申し訳ないと思っていたことも、もう仕方ないなって。
私の要素の(?)全部が「おかしい」だけじゃないかもしれないって気づき始めました。
現状を受け入れるようになっていきました。 それは、ちょっと時間がかかったけど、
確かに自分の中で起きた変化でした。
不登校だった日々は、今も胸に残っている

もうあの時から、何十年もたっています。自立しています。
それでも親への「申し訳ない」という気持ちは、消えていません。
小学生の頃の話が出ると、今でも何と言ったらいいか、分からなくなることがあります。
それだけ、不登校だった期間は私にとって衝撃的なことだったのかもしれませんね。

今月もまぁまぁ読めたかなっ!
せっかく、本を読める体質なんだから、難しい本にもチャレンジしたいな♪
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