不登校だったあの頃。 同じような毎日で、前に進んでいる感覚は持てなった日々でした。そんな中でも、思いがけず嬉しかったことがいくつかあります。 ぴかぴかの鉛筆を褒められたこと、学校に行けない私を図書館まで迎えにきてくれたこと、 そして、学校の友達が「勉強できるんだね」と私をみとめてくれたこと。 小さな「うれしい」が、そっと私の心を支えてくれていました。
「学校に行けない」という状況になると、後ろめたい気持ちでいっぱいでした。私はみんなと同じことができない。苦しい。そう思っているうちに、「楽しいことはしてはいけない」「喜んではいけないんだ」と考えるようになっていました。
そのため、学校がある時間は暗い気持ちで過ごすことが多かったです。
それでも、いまだに覚えている嬉しかったことがあります。 小さなことかもしれないけど、そんな出来事が私の生活を守ってくれていたのかもしれません。そんな小さな“うれしい”を、ここで少しまとめてみようと思います。

鉛筆を褒められたあの日
保健室登校をしながら、授業を選んで少しずつ参加していたあの頃。 教室に入るのが怖くて、体育は見学ばかり。それでも「できることだけでもやってみよう」と思って、委員会に参加していました。
保健委員会のポスター作成。アウトラインの作業を先生が手伝ってくれたとき、「鉛筆貸して」と先生に声をかけられて、私は筆箱の中から、使っていない鉛筆を差し出しました。
先生はそれを見て「鉛筆がすごく綺麗に削ってある!これはいいね!」って言ってくれました。その瞬間、胸がぎゅっ!となったんです。
それまでは「人より劣っている」「クラスにいないから認められることなんてない」
そう思っていた私にとって、たったひとことが、驚くほど大きな力になりました。
先生にとっては何気ない場面だったかもしれないけど、私は今でもその光景を覚えています。
小さなことでも、人から褒めてもらえる経験って、本当に心を救ってくれるんですね。
図書館で感じた、やさしさ
学校に行けない日は、地域の図書館で過ごしていました。 午前中、本を読んだり、勉強をしたり。何度も通っていた場所なのに、なぜか居心地はよくありませんでした。 不登校になる前から使っていた図書館だし、職員の方々も理解のある人だったと思います。それでも、「私は、学校に行っていないんだ」と、後ろめたさをずっと抱えていました。
そんなある日、ひとりで本を読んでいて、「このページを読んだら帰ろう」と思ったそのとき。ふと出口を見ると、父が迎えに来てくれていたんです。
仕事が早く終わる日だったのか、会社帰りの父の姿がそこにあって、なんだか妙に嬉しかったんですよね。 普段はあまり子どものことに関心がなさそうに見えていた父。
だからこそ「私のために、ここまで来てくれたんだ!」と思った瞬間、心がふっと軽くなった気がしました。
父や母にとってはもう覚えていないような、ただの一日かもしれない。 でも、あの日のことは、私にとってなぜか忘れられない思い出なのです。
“すごいね”と言ってくれた、嬉しかったあの日
私は、勉強熱心タイプの不登校でした。 学校には行けなくても、週2回の塾には楽しみに通っていたんです。 学校に通えていた時期もそうでない時期も、塾だけは自分の居場所のように感じられて、模試や漢字検定などにも積極的に参加していました。
模試の結果が上位に入ると、生徒の名前が掲示されるというシステムがあり、ある時、私の名前が貼り出されたんです。 頑張ったことが、みんなに見える形になったこと。それがとても嬉しかったのを覚えています。
さらに、そのタイミングで、学校の友達が塾に体験に来ました。 その友達は、私が塾に通っていること自体も知らなかったかもしれません。 授業の休み時間、模試の掲示を見たその子が私に「学校行っていないのに、すごいね」と言ってくれて——。
なんだか、それが妙に嬉しくて、いまだにその感覚が忘れられません。
学校には馴染めなかったけれど、他の場所ではちゃんと努力が認められていた。 あの瞬間、「私はここでもちゃんと存在しているんだ」と思えた気がします。
3つの“うれしい”を通して
不登校だった時間のなかで感じた、3つの小さな「うれしい」。 それは、私をただ前に進ませたというよりも、そっと「立ち止まる自分」を認めてくれたような存在でした。「不登校でも、嬉しいと思ってよい、楽しいことをしていい」ということが分かった体験です。 今、同じような場所にいる誰かにも、この記憶が届いてくれたら嬉しいです。 嬉しかったことを思い出すことも、じぶんを肯定するひとつの方法なんだと思っています。

本日もご覧いただきありがとうございます。
今日は、朝から水泳に行ってきました!よい一日になりそうです^^